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インタビュー
2022/09/09
INTERVIEW Vol.36
戸田良明
TODA Yoshiaki

30代・英語力ゼロからのデンマーク留学記!半年間の社会人留学で分かった「限界」の向こう側

PROFILE
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戸田良明(ピースボートスタッフ / クルーズディレクター)
長崎県平戸市にある、人口4,000人の小さな島で生まれ育つ。
2013年、乗客としてピースボートクルーズに参加。下船後はスタッフとなり、東京・大阪のピースボートセンターで勤務。
2018年より、世界一周クルーズにおけるピースボート事務局の責任者「クルーズディレクター」を務める。2019年4月出航のクルーズでは、ピースボート史上初となる皆既日食観測に成功。
2022年現在で、ピースボートスタッフ歴9年。クルーズを取りまとめる責任者であるクルーズディレクターとしての乗船経験もある戸田良明さん。
現在34歳の戸田さんが「社会人留学」を選んだ理由、そして留学を経て得た気づきや、今後の目標とは。

5年で区切りをつけるつもりだったピースボートスタッフ

――戸田さんはなぜピースボートのスタッフになろうと思ったんですか?
戸田 僕はピースボートに参加して、寿命が20年伸びたんです。スタッフになる前は医療系の仕事をしていたんですけど、そこで出会う人たちはみんなどこか身体の調子が悪いわけで、元気がない。人生って60、70歳が限界なんだなって思っていました。だけど船に乗ると、80~90歳で元気な人が本当にたくさんいて。そんな人たちを見ていると、自分の人生は90年だと考えてもいいんだなって思ったんです。お客さんとして乗船していた時に「5年間スタッフをしてクルーズディレクターを目指さないか」とスタッフに誘ってもらったんですけど、想定の寿命が20年伸びたからそのうち5年くらいならまあいいかと思ってスタッフになりました。
――目標だったクルーズディレクターには4年目で就任されたとお聞きしました。5年で辞めるつもりだったスタッフの仕事も続けて今9年目になるとのことですが、続けているのはなぜでしょうか?
戸田 クルーズディレクターをやってみて、この役職は求められることが多い分、自分がたくさん成長できる面白い仕事だなと思いました。目標を達成すると自信がつくものなのかなと思っていたんですけど、実際なってみると自分のできないこと・足りないことを自覚することの方が多かったんです。それで、次はこれができるようになりたい、その次はこれ……と考えているうちに9年続けていたって感じですね。
――常に自分を成長させたいというモチベーションがあるからこそ、まだここでやりたい・成長したいと思ったんですね。
戸田 そうですね。自分の人生において一番大事にしたいことが「自分の視野を広げて成長し続ける」ということです。自分の身の回りやメディアや政治の中でも、年齢を重ねて考え方が凝り固まって、多様な意見や価値観を取り入れられなくなっている人を見た時に、ある意味裸の王様じゃないですけど、そうはなりたくないなって思いました。なので、自分は色々なバックグラウンドを持つ、年齢も国籍も違う友だちをたくさんつくって色んな話を聞いて、自分の発言とか考え方を広げていける人になりたいなっていうのをすごく感じました。
そのためにもたくさんの人と出会うっていうのを意識的に行っているんですけど、そういう意味では人と関わることが仕事でもあるクルーズディレクターはやっていてよかったなと思いました。

語学に自信がないからこそ留学へ

――そんな戸田さんが社会人留学をしようと思ったきっかけは?
戸田 「常に成長し続ける」という人生の目標を持ったうえで、次にこれをやりたいと思ったのが「自分の人間性を伸ばす」ということでした。なんとなく、自分にはまだ伸びしろがあるんじゃないかなと思ったんですけど、それを伸ばすためには多分言語的にも文化的にも今までと全く違う環境に身を置く必要があるなっていうのを感じて。それで、留学しようかなって。
――もともと語学力には自信はあったのですか?
戸田 いやそれが真逆で、英語が話せないのがものすごくコンプレックスだったんです。クルーズディレクターをしていると大統領やノーベル平和賞の受賞者といった海外の要人に会う機会もあったんですけど、英語で会話している時に置いて行かれるような気持ちになっていたんです。同じテーブルでご飯を食べる時も当たり前ですけどみんな英語で会話しているので、笑いが起こっても僕は全く内容が分からなくて。通訳の人に聞いて2、3歩遅れて「ああ、だからさっきみんな笑っていたのか」って。そういうのが重なって自分の中で英語が話せないことがコンプレックスになっていました。
――コンプレックスを克服しようと思ったきっかけは?
戸田 ピースボートがニューヨークに寄港した時に船上で国連のイベントを開いたんですけど、その時にピースボートの創立者の一人である吉岡達也さんが英語でスピーチをしているのを見たことです。吉岡さんは今60歳で。あ、そうか、30年後なら自分も頑張ったらいけるんじゃないかと思ったんです。それで、さっき話したように身を置く環境を変えたいなと思っていたこともあって、留学することを決めました。

行き先はデンマーク!でも「英語が全く分からない!」

――戸田さんは大学ではなく、「フォルケホイスコーレ(※)」を行っている「International People‘s College(IPC)」に留学されたんですよね。留学先の情報はどうやって集めたのですか?
フォルケホイスコーレ
原則17歳半以上であれば国籍・人種・宗教を問わず誰でも入学でき、試験や成績評価などは一切ないデンマークで生まれた全寮制の成人教育
戸田 フォルケホイスコーレにたどり着いたのは結構たまたまで。これまでずっとお世話になっていた同僚に留学を考えていることを話したら、フォルケホイスコーレっていうのがあるよっていうことを教えてもらって、実際に行ったことある人に連絡をしました。
その人と電話して色々話を聞かせてもらった時にIPCのことを知りました。IPCは英語が共通語であることと、同じ国の人の割合が15%を超えないようにしているなどフォルケホイスコーレの中でも一番国際色が豊かっていうことを知って、「あ、ここだ」と思いました。自分が一番大事にしたかったのは「色々なバックグラウンドを持つ人たちと話して、自分の発言とか考え方を広げていく」という部分だったのでぴったりだなと。フォルケホイスコーレ自体はデンマークに70校くらいあって、それぞれ特徴があるんですけど、もうここだって思ったので、他は全く調べませんでした。
――フォルケホイスコーレに入学するために、知人に添削をしてもらいながら英語のエッセイを出したと聞きましたが、どのくらい英語の勉強をしてから留学したのですか?
戸田 留学する前に約1年半オンラインで英会話レッスンを受けていました。検定などは受けていないのでどのくらいの英語力がついていたのか明確には分からないんですけど、一応中学3年生くらいまで英会話のレッスンは受けました。
――それで、実際に留学してみてどうでしたか?
戸田 もうね、ボロッボロ(笑)。自分が赤ちゃんになったんじゃないかってくらい何も分からなかったね。ショックだった。これまで勉強してきたものもほとんど役に立たなくて。やっぱり「習った英語」と「使う英語」って全然違うんですよね。さらに、25分の英会話レッスンを1日に5回受けたとしても2時間だから、英語に触れてる時間が圧倒的に足りなかったなと思います。留学していたら24時間英語なわけですから。
ずっとパニックみたいな状態で「もう英語が全く分からない!」って脳みそになっていて全然何言っているか理解できなかったです。1対1ならまだ分かるんですけど、複数人とか、全体に向けて話しているアナウンスが全く分からなくて、もうめちゃくちゃしんどかったです。

喋れないからこそ誰かに響くこともある

――言語の壁にぶつかって、辛くなってしまうのは留学する人は必ず経験するといってもいいかもしれませんね……。戸田さんはその辛い期間をどう乗り越えたのですか?
――例えばどんなものですか?
戸田 自分は「英語が話せるようになりたい」っていうのと「視野を広げる」っていうのが目標だったけど、それは最終的なゴールだと思うようにして、今すぐに達成できなくてもOKとしました。まずは学校を辞めずに最後までいることが第一段階のゴール、第二段階は1日1回以上は誰かに挨拶する、みたいに目標を8段階に分けることで「よし、今日も少なくとも1つはゴールを達成できた」と思うようにしていました。
――戸田さんが英語を話せないことに対して周りの人はどんな反応でしたか?
戸田 あんまり気にしてなかったんじゃないかなと思います。参加していた120人中8割くらいが19歳とか20歳で、34歳の自分は年齢的には上から二番目。だけど英語は間違いなくダントツ最下位。最初の頃は、30歳過ぎなのにこんなにしゃべれないの?とか思われてるんじゃないかなって気にしてたんですけど、むしろ僕が30歳越えているのをみんな知らなかったらしくて。英語が話せないこんな自分と仲良くしてくれる人なんていないと思っていたんですけど、僕のことを「ベストフレンド」って呼んでくれる人がいたり。結局、気にしているのって全部自分なんですよね。
――自分が思っているよりも、いい意味で他の人は何とも思っていないっていう。
戸田 むしろ喋れない僕が頑張って喋ることで相手を動かせるんだなって思った出来事があって。ただ漠然と授業を受けているだけだと語学力も上がらないから何か話す機会を作りたいと考えていた時に、アジアのことを紐解くって授業があって「これだ!」って思ったんです。アジアについて、日本について授業をやるんだからこれは自分が話すしかないと思って、先生にお願いして授業中に10分間プレゼンをする機会を設けてもらったんです。
戸田 「下手でもいいし、カンペを見てもいいからとにかく喋る」というのを心に決めて、最後までやりきりました。この経験がすごくよくて、英語を喋れないことを笑う人は誰もいない。むしろ「Yoshi、がんばってんじゃーん」って認めてもらえたり、英語は喋れるけど人の前で何か話すのが苦手っていう若い子たちから「自分も話してみようかな」って言ってもらえたり。限界って自分で勝手に決めつけてるだけなんだなって。喋れないとか表現できないとか、できないんじゃなくて、やってないだけだって気がついてハッとしました。

やりたいことは、何歳からでもやったほうがいい

――社会人になってから留学してよかったことはありましたか?
戸田 一度社会に出て色々な経験をしているからこそ、ちょっと先のことまで考えられたりするのはよかったなと思います。英語が話せないこととか、自分が結構他の人より年上なことでギャップを感じて辛いと感じたこともあるんですけど、今の辛い経験もプラスになると知っているし、英語が話せないのも「今」できていないだけだと思えるというか。色々な経験を積んでから留学しているから、自分の経験や目の前の出来事を「失敗」だと捉えずにいられるのはよかったですね。
――社会人留学を経験して「これは他の人にも伝えたい」と思ったことを教えて下さい。
戸田 人生に遅いってことはないんだなってことをすごく実感しました。人間って、大人になるにつれ言い訳をつくって、やりたいことをやらなくなると感じていて。「お前、30歳過ぎてなにやってるんだよ」とかまわりの人に言われるかなと頭を過るかもしれないけど、案外気にしているのは自分だけだから、やりたいと思ったことはやったほうが絶対にいいです。
僕が色々な決断をして行動していることが「自分も何かやってみようかな」っていう風に誰かの行動のきっかけになるかもしれないとも思ったので、僕も自分の経験とか思いをもっと発信していきたいなと考えています。
――「フォルケホイスコーレは陸版ピースボートだった」という話を留学経験者の方から聞いたことがあります。現役のピースボートスタッフとして、フォルケホイスコーレを体感してみて改めて感じたピースボートのよさはなんですか?
戸田 フォルケホイスコーレは「学校」です。関心をもって集まってきている生徒たちは、みんな多様性に理解があってきちんと議論ができる人たちであり、比較的安いとは言っても留学に行ける資金的余裕のある人たち……という風に、そこに集まっている生徒たちの属性はある程度揃っています。これと比較すると、ピースボートの船の中はもう少し現実の社会に近いと感じました。ピースボートには裕福な人からボランティア割引を貯めてやっと乗船できるような若者もいて、心に余裕がある人もそうじゃない人も、本当に色々な人たちがいて多様な空間です。色んな人が出会って話して、時にはぶつかって和解して、これが社会を変えるためには必要なんだなっていうのを改めて実感しました。ピースボートは改めてすごく面白い空間だと思ったし、意味のある場所だなと自信を持てました。
――純粋に「旅行感覚」で参加している方も多い分、多様な層の方々が乗船してますもんね。
戸田 今回デンマークに行って、やっぱり人にとって「安心できる空間」ってすごく大事だと思ったんですよね。安心できる空間がないと、人を信じられないし、希望が持てない。僕も留学を始めたころは言語面とか年齢とか文化的に居心地がすごく悪かったんだけど、それでも頑張ろうと思えたのは学校が安心できる空気を作ってくれたから。「ここには色々な人がいるからそれを尊重しよう、チャレンジすることを応援しよう」と常に体現してくれていたのがほんとうにすごく心地良くて。ピースボートでもそんな環境をつくっていきたいなとすごく思いました。
編集後記
実は、筆者がお客さんとしてピースボートの第101回クルーズに乗った時のクルーズディレクターが戸田さんでした。
いつもは「ライダー」と呼ばせてもらってるので、ここでもライダーで失礼します。
インタビューをする中で、「大人になるにつれて言い訳を作ってやりたいことをやらなくなる」というライダーの言葉が胸に刺さりました。留学まで規模が大きくなくても、日常の中の些細なやりたいことをやらない理由を探して諦めている自分に気がついてしまったからです。
お客さんからするとクルーズの象徴的な存在のクルーズディレクターだっただけでなく、人気者で船内の色々なイベントに引っ張りだこだったライダー。
そんな憧れ的存在だったライダーが留学する選択をしただけでなく、その理由が「自分を成長させるため」と聞いた時は本当に格好いいなと思いました。ますます憧れの存在になったライダーに数年後会った時に胸を張れるように、私も自分を成長させるための選択をしていきます!と、ここに宣言を残しておきます。
社会人留学を経験したライダーが次にクルーズディレクターをするクルーズは、今まで以上にすごく居心地のいい旅になりそうだなと思いました。その時は私ももう一回乗船しようかな。
(取材・文/鷲見萌夏 写真/PEACEBOAT、戸田良明、水本俊也)

 

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