ライター活動のきっかけはコミュニケーションが苦手だったこと
ーー鷲見さんが書かれた記事をいろいろ読みましたが、読みやすくて、内容がすっと頭に入ってくることが印象的でした。
鷲見 実は、大学に入るまでは文章を書くのがめちゃくちゃ下手でした。そもそもコミュニケーションを取ることが苦手で、そのせいで人と関係を築くことがうまくできないと感じることが多くて。もっと上手く人にものを伝えられるようになったら、コミュニケーション下手なことを解決させられるかなって考え始めるようになりました。
ーーすごく意外に感じます。ピースボート乗船中も「新聞チーム*」で活躍されていたと聞きました。
船内で活動するチーム
ピースボートクルーズでは、船内を盛り上げるため、サークルのようなチームが複数活動しています。チームには一般乗船者が自由に参加することができるようになっていて、音響、映像、企画などの専門チームで、学びながら専門性の高い技術にたずさわることができます。鷲見さんは船内で発行される新聞を制作する「新聞チーム」に参加していたそう。
鷲見 はい。船に乗るまでの間も大学生活のかたわらライター活動をしていたので、乗船期間中も文章を書くことは続けたいなと思って新聞チームに参加しました。私は「イベントガイド」のコラム記事やインタビューを担当していました。最初の号以外、全ての号で何かしらの記事を書いたことは、船内生活の中で達成したことのうちの一つです。
ピースボート乗船中にベストセラー作家の海堂尊さんにインタビュー
――新聞チームの活動の中では、有名な小説家にインタビューをしたこともあったと聞きました。
鷲見 イベントガイドではコラムの他に、水先案内人の紹介記事も書いていました。「こんな方のこんな船内講演があるので、ぜひ参加してください」という内容です。『チーム・バチスタの栄光』をはじめ、数々の人気小説を書かれている作家、海堂尊(かいどう・たける)さんが水先案内人として乗船された時に、新聞チームから私ともう1人の乗船者でインタビューをすることになって。
30分という時間制限もある中でインタビューさせてもらったんですが、海堂さんがインタビューに慣れていたこともあって、欲しい答えを的確に出してくださって。時間通りに取材が終わってお礼をしたら、海堂さんが「僕、これまでたくさんプロの方のインタビューを受けてきたけれど、あなたはインタビューがとてもお上手ですよ」っておっしゃってくださったんです。このことはもう、一生の自慢になりました(笑)。
――とても貴重な経験をされたんですね。他に印象に残っていることはありますか?
鷲見 私は、船の中でたくさん行われるイベント、特にみんなでワイワイする感じのイベントがあまり得意じゃなくて。どちらかというと「今夜、空いてるなら話さない?」って少人数でじっくり話したりする方が好きでした。
大騒ぎするようなイベントは苦手。少人数でゆっくりじっくり過ごして見えてきたこと
ピースボートに乗ってみると、たとえばイベントにしても「別に参加しなくてもそれは悪いことじゃない」っていう雰囲気がある。きっと高校生までの私だったら、「嫌だな」と思いつつも誘われれば参加していたと思うんです。「他人からはこういう自分が求められてるんだろうな」というのに応えてしまうようなところがあったから。でも、船の上では「それはやりたくないから、今回は参加しないね」って言えていました。そのかわり少人数でゆっくりじっくり話をして過ごして、自分が何が好きで、何が嫌いなのかを発見できたと思います。
自分は自分と割り切って過ごしていても、私のこと好きって言ってくれる友達がいっぱいできたので、「求められている自分でいないと受け入れてもらえないんじゃないか」っていう圧力を感じなくなりました。
――ピースボートでのよくある一日はどんなスケジュールでしたか?
鷲見 私は札幌出身で、小学校から高校生まで、ずっと札幌のよさこいを踊っていたんです。よさこいがとても好きだったので、船内で本場高知のよさこいを教えてもらえるプロジェクトに参加しました。映画『君が踊る、夏』の企画協力をしている高知のよさこい名門チームがあって、そのチームから有名な踊り子の方が先生として乗船していたんです。その先生からよさこいを教えてもらって船内のイベントや寄港地でよさこいを踊りました。
午前中はよさこいのレッスンを受けて、午後は水先案内人の講義を聞きに行ったり、新聞チームに顔を出したり、何もせずゆっくり過ごしたり。夕食を食べた後は、おしゃべりしながら麻雀をするか、誰かと話をすることが多かったです。
下船後、学生インターンシップとしてピースボートデッキでライター活動
ーー船を降りた後も大学生活を続けながら、乗船前から続けていたライター活動と並行して、ピースボートデッキでも執筆をするようになったんですよね。
鷲見 はい。船内生活も終わりに近づいてきた頃、「これでピースボートはおしまい!」ってなるのはもったいないなと思い始めて、何かしら関わり続けたいと考えました。そういう人の多くはスタッフになる道を選ぶことが多いと思うんですけど、まだ大学生だったので難しかった。当時のスタッフが「ライター経験を活かせる方がいいよね、じゃあ……」と、ピースボートデッキのインターンシップを提案してくれたんです。
ーー本業は学生で、複数の媒体でのライター活動*、そこにさらに「ピースボートデッキ」での執筆が加わったんですね。どう両立していたんですか?
ライター活動
鷲見さんは在学中、「ガクセイ基地」というメディアでの執筆ほか「若者×社会変革」をテーマにしたプロジェクトレーベル「SENSE:D」の立ち上げに関わり、編集長を務めつつ記事執筆にあたっていた。
鷲見 私が学生であること、ほかにもライター活動をしていることはピースボートデッキのメンバーもよくわかってくれていて、私が無理しすぎないように、忙しいときは月1本だけにしたり、時間がある時にまとめて書いておいてちょっとずつ出したり、調整してくれていたので大丈夫でした。
けど、大学でもレポートを書かないといけなかったり、全部やっていた時期は本当にたくさん書いていましたね。もう、書きまくってたなって(笑)。
――最初は書くことが苦手だったのに、それだけの熱量が続いたのはやっぱり書くことが好きだったからなのでしょうか。
鷲見 はい、文章って、わかるように書けば、伝わる人にはちゃんと伝わる。そう実感する経験、「この記事すごい良かった!」って言ってもらえたりすると、「よかった伝わってる」って嬉しくて、続けることができていました。
メディア関連企業への就職、ピースボートデッキ卒業
――2023年の4月からメディア関係への就職が決まり、ピースボートデッキの学生インターンを卒業することになった鷲見さん。在籍中には合計で何本の記事を書いていたんでしょうか。
鷲見 デッキのメンバーが送別会を開いてくれて、そのときに私が記事を何本書いたかを数えてくれたんですが、全部で60記事書いていました。送別会では、書いた記事の記録と、みんなからのメッセージをまとめたカードを一緒にプレゼントしてくれたんです。めちゃくちゃ嬉しかった!
――社会人として働き始めた鷲見さん。ピースボートの経験は役に立っていますか?
鷲見 どこの国で何が起きたっていう時事情報も、「ピースボートに乗っていた時に見たな」って、自分と結びつく出来事が増えています。乗船をきっかけにいろんなことを考えるようになりましたね。これから仕事の中でも、きっといろんな面で役に立つんじゃないかなという予感がしています。とりあえず、「19カ国間、世界一周してきた」ってそれだけで話のネタとしてものすごく面白いですしね(笑)。
昔の自分に「決断してくれてありがとう!」
――船に乗る前の自分にメッセージを贈るなら、どんな言葉をかけたいですか?
鷲見 それこそ大学を1年お休みして、104日間船に乗るって、おそらくそれなりに失っているものもあると思うんです。乗船費用のためにめちゃくちゃバイトしてた時間とか、休学せず1年前に就職してたら、とか。けど、それ以上に得るものがあった。
いろんな国に行っていろんなものを見たこともそうですし、いろんな人と話して、自分のことを見つめながらたくさん考えたことも。そういう時間があったから今の自分ができていると感じています。だから、乗船する前の自分には、まずは「よく決断してくれた」と思います。その頃に戻って選べるとしても「乗った方がいいよ」って言いますね。
――最後に、改めてピースボートの魅力を教えてください。
鷲見 私はさっき言ったみたいにピースボートに乗って生活してるうちに「自分ってこういう人間なんだな」って見えてきて、結果的に自分探しができた3カ月になりました。だから、一言でいうなら、自分探しができる場所ということになるけど、それはたぶん副産物なんだと思います。「自分探ししよう」と思って船に乗らなくても、「いろんな国行きたい」とか、「3カ月ダラダラしたい」とか、難しいことは考えずに乗ってみても得られるものがたくさんある。1,000人いれば1,000通り得られるものがある場所なんじゃないかなと思います。
(取材・文/山根那津子 写真提供/鷲見萌夏 写真/PEACEBOAT、水本俊也)
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