世界って本当はこう有れるんじゃないかって思うよ。人々がそのエネルギーの向き先を、変に間違えさえしなければ。そう、その一歩間違えた世界が「戦争」だったりする。だから「戦争よりも祭りを!」って言葉も分かる気がするんだ。どういう意味かっていうと例えば、軍隊のパレードよりリオのカーニバルを選びたいって、私は思う。
リオのパレードも軍隊のパレードも客観的に見ると、人が集まって行進しているだけ。ただ何のためにそれがあるのか、周りが何を感じているのかは大きく違う。どちらのパレードを選ぶかも、私たち次第。生きていることを実感する為に溢れ出るエネルギーを表現したいのなら、楽しくって創造的な方がいいってそう思わない?
花火を見てるとたまに、湾岸戦争の始まった時のテレビ映像がフラッシュバックする時があるんだ。客観的に見るとどちらも同じように暗闇に浮かぶ美しい火花でしかない。これもどちらを選ぶかは、私たちの選択次第でもあるんだよね。幸せで嬉しい火花を選ぶことができる日々に感謝しつつ、常にそれを忘れないでいたいなぁとどこかで思うよ。
どこかへたどり着くその道のりには、闇から光へ、かたや光から闇へと、まるでどちらもを経験するように向かう過程があるのかもしれない。そんな揺らぎの中を彷徨い歩く…そのものが人生なのだというのならば、どちらかだけが正解ということはもしかするとないのかもね。
ただ、せっかくこの世界に生まれてきたんだからって思うとさ、生きていることを否定するのではなく、存在自体を心から祝福したい。そしてもしその方法が分からないって言うのであれば、楽しい方法のひとつを教えるよ。リオのカーニバルに来ればいいんだ。
そんな果てしない思考が頭の中でぐるぐるしながらも、リオのカーニバルはさらに勢いを増して私たちをその世界へ誘い込み…私の頭と身体はいい感じにごちゃ混ぜになったまま、底抜けに陽気なパレードの渦の中へとどこまでも巻き込まれていった。