そして。キューバを出てから思い出すのは、静かな夕方の時間帯…夕日で薄オレンジ色になった街。
立ち並んでいる建物の玄関先に人々は座って、のんびりとおしゃべりをしたり、こどもが周りを走り回ったりしていた。誰ひとりとして下を向いて携帯電話をいじっていない。
ただただ一日の終わりゆく時間を、味わうともなく座っていたんだ。そんなひと時を持つことの贅沢さ。彼らはそれを、私に思い出させてくれた。
そういえば携帯電話を持つ前は、私にもそんな時間がたくさんあった。何を見るともなくぼんやりと景色を眺めながら風を感じたり、何を待つともなく座っていたら友人たちが集まってきたり。それってもしかしたら、すごく大切なものだったんじゃないかな。
携帯電話を持った今、時間を自分でコントロールしてしまうようになっていた。見るものも、待つものも、感じるものも…「空白の時間」というものが無くなってしまった。私たちはいつしか、そこに流れている時を「受け入れる」ことを忘れ、そこにない時間を「作り出す」ことに集中するようになっていたんだ。
川のように真っ直ぐ流れていた時間は、コントロールされることにより複雑に絡まり始めた。あちこちが堰き止められたり支流を作り変えられたりして、ちょっとした大雨なんかでその川が決壊しやすくなってしまった。
そしたらその解決法をいつも考えなきゃいけなくなって…私たちはいつもそんなことをしているのかもね。本来の真っ直ぐな時間のままいじらなければ、そんなことにはならなかったのかも知れないのに。