大阪の沖縄県人会のおじさんたちが青年の頃、そんな現状を変えていきたいと思って、自分たちのアイデンティティーを示す「エイサー祭り」をやろうと思い立つ。だけど周りのウチナーンチュからは強い反対を受け、そんなことをやってくれるなと年寄りからも言い寄られた。猛反対を押し切って「第一回エイサー祭り」を強行突破した時は、まだまだ小さな声をあげたに過ぎなかったんだよ、と教えてくれた。
そんな中でエイサーを誇り高く踊った彼らの心の奥底に、強い炎のように燃えている沖縄の血が湧き上がってきたんだ。それ以後、何度となくエイサー祭りを行っていたら、ある時突然として、沖縄ブームが起こってガラリと世界が変わった。「島唄」がヒットしたり沖縄のイベントが各地で行われ始めて、大正区のエイサー祭りに、会場を埋め尽くす程の人が集まるようになったんだ。
戦争や基地問題といった重たい側面から入ったのではなく、素晴らしい文化や彼らのポジティブな生き方を見て、私は沖縄に興味を持った。そこが、きっと今まで私と沖縄が長く結ばれ続けてきた理由だと思うんだ。もちろん辛い過去をしっかりと知る必要は充分にある、だけどそれだけじゃあなくてさ。悲しみだけの繋がりなら、心はそのうち涙で枯れ果ててしまうだろう。
光輝く、沖縄の宝物。私たちが沖縄から学べることはたくさんある。例えば、人として何を大切にしてどう生きていくのか。オジーオバーを尊敬し、周りと協力し合って地域環境を作ったり、近しい自然と上手に付き合って暮らしていく知恵とか。沖縄でも街ではそういったことは少し薄くなってきているかも知れない、それに最近は観光の為の開発が急激に進んでいて、少し心配でもあるけど。自分たちらしさを失わずにあり続けて欲しいと思える、そんな小さな光輝く島、沖縄。