ただ、暮らしてみて感じたのは…生活の中で深く関わったりしているものに、表立って反対を唱えるのは本当に難しい。友だちが基地の人と結婚していたり、仲がいいお隣さんが基地で働いていることもある。基地が沖縄の大半を占めているという事実は、それだけたくさんの沖縄の人が基地に関わっているということなんだ。
だから基地を「表立って」全否定するのは、色んな共同体から自分が孤立したり、友だちや仲間の生活や生き方を結果的に否定してしまうことでもある。それって何だか悲しいよね。大切なのは、対立すべきはその二者ではないってこと。だから沖縄の人たちは、普段から表立って意思を表わそうとしない所がある。そしてそれは彼らの持つ知恵でもあるんだ。
経済的な側面から見ると、基地以外の働き口を作るという方法がある。だけどどうやらそんなに単純な問題でもないらしい。米軍基地は、日本とアメリカの政治的な関わりから存在している。長く住むとチラチラと見えてくる現状、米軍基地の問題は思っている以上に複雑なんだろうと思う。
ただ、「基地があるのは仕方ない」ではなく、もちろん変化していく必要があると思う。そしてそのやり方を、もしかしたら柔軟な頭と全く新たなる発想で始めることができるのが「沖縄」という存在なのかも知れない。だからその起爆剤が沖縄に投入されて今、この状況で大きく揺さぶられている…どこかそんな気がしてならないんだ。
もし沖縄が変わることができたら、世界をリードしていけるほどに凄い場所になるんじゃないかな。それだけの要素を持っているんだ。だけど、それって一体どういうことなんだろう。
後編へ続く…
(取材・文・写真/Hinata)