米軍の基地は生活に直接的な脅威を与えることはないかのように、一般の出入りが自由なフリーマーケットやフェスティバルがあったりして、どこか楽しい場所のような雰囲気さえ醸し出している。生まれた時からその中で暮らしていた若者たちにとって、基地の本当の意味を知らされた時にそれらを客観視することは、ある意味難しいことなのかもしれない。そして実際のところ、学校でもその問題に触れようとしない傾向にあるというんだ。
もちろん基地は、沖縄の生活を脅かしている。耳をつんざくような戦闘機の騒音に観光客が唖然としても、頻繁に発生する小さな事件の数々が内地まで届くことはなく、治外法権状態の「基地の中の沖縄」でそれらは闇となり隠れている。だけど沖縄では昔からよく起こっているような問題に対して、「基地があるから起こること」と解釈するにも、日常化して薄まってしまっている状況も否めない。
かと言って、沖縄の人たちがそれらに対して声を挙げていないかといえばNOだ。なぜなら知事選などでも結果が出ているし、辺野古や高江での毎日の出来事、全国ニュースには報道されない様々な平和アクションや決起大会もある。
彼らが何もやっていないのではなく、彼らのことが私たちに見えにくくなっているだけなんだ。相当目を凝らして沖縄で起こっていることを知ろうとしない限り、そして沖縄に住むなどしてそういう場面に出向いて行かない限り、沖縄の人たちの真の行動を知ることはできないだろうって思う。