ジープツアーも終わりに近づいてきた。走るジープの車窓に切り取られた海を眺めていると、横一列に連なる海上コテージがまるで一枚の絵画のように見えてくる。ひと部屋ずつのコテージには海に降りる階段がついていて、まさに海に抱かれたという表現がピタリとはまる空間のようだった。
そこから少し行くと最終地点のビーチにたどり着き、車を降りた私はしばらくの間その場に言葉なく立ち尽くした。
まるで幻想のような風景。海は透明度が高くどこまでも遠浅で、水中の白砂に光が反射してキラキラと輝き、浜辺の椰子は木陰を作り南国の熱気を柔らげている。その奥では、熱帯の森がまるで大きく呼吸をしているかのようにゆらゆらと揺れている。あぁ…ここは紛れもなく、タヒチだ。
こんな楽園のような場所できっと、ゴーギャンは創造性を刺激され日々絵を描いていたのかも知れない。南国の太陽で肌を小麦色に焦がしつつ筆を握り、タヒチの持つジットリとした熱帯感に意識をどこかへと誘われながらも、目の前に寝転ぶ美しいタヒチ女性をキャンバスに写し取っていたのだろう。
それは白昼夢のようで、もったりとしていて南国の熟しきった果実の濃厚な香りに包まれた時のような、気が遠くなるような世界だったのかも知れない。
地面からの白い光を伴った熱気は、どこかへ消えつつある私の意識の奥まで届いて陽炎のように揺れている。このまま気を失ってしまうかもしれない、ふとそう感じる。そしてそれは不思議と、ここの空間に深く漂うために必要なことのようにも思えた。
足元をするりと通り抜けて、海辺に向かって立った一匹の犬が私を現実に連れ戻してくれた。今度は意識的に現実感を保つようにして、海を眺める。誰もが言うように、タヒチの海は格別だ。色のグラデーションも透明感も…パラダイスという響きによく馴染む。森の気配は濃く、海は透明すぎて、ある意味「この世から遠いような気もする」ぐらいだ。