メキシコ的でカラフルな祭壇は、見ていても楽しいんだ。亡くなった人たちの好きなものがいっぱい並べられてあって、祭壇なのにおもちゃ箱のような雰囲気でもある。悲しい気持ちで接するのではなく、久々に友だちに会いに来たように楽しく時間を過ごす「死者の日」。街はカラフルなフラッグで飾られ、マーケットが街を賑わしていた。
船内でやっていたイベントで体験したんだけど、「死者の日」当日はみんな顔に骸骨のメイクをして、華やかに着飾ったりしてその雰囲気はまるであの世のパーティーのよう。国によって死者に対する感覚が違ってるのが面白いよね。
水先案内人のパブロ・ロモさんは言っていた。メキシコ人は死を恐れない、と。死に至るまでの痛みなどは怖い、だけども「死」そのものに対しての恐怖がないのだと。「過去を見ることは未来を知ることに繋がる、だからこうやって死者を思い出し、祀ることはとても大切なことなのだ」彼は船内の講演でそんなようなことを言っていた。
過去を見ること。それ無くしては、本当の未来は見えない。そこにはたくさんのヒントがある。数多くのチャレンジ、失敗、そして成功がある。すべての人の生きた証を物語る「時間」が、消えずにそのまま記憶となって跡形を残している。確かにあったそれは、思い出すことで私たちの今の時間へと絡まって、新たな「物語」を織り成していくんだ。死者を思い出す時、私たちは死者と共にある。正確に言えば「死者の時間と共にある」。
死を通してから初めてリアルに見える生。それは生々しくもあり、純粋な神々しさも持ち合わせている。生と死の境目、とにかくそれらは背中合わせなんだ。そしてひとつ。