特に気にすることでもないのかもね。もしかしたら民族楽器は身近で習えるのかも知れないし、世界一般的なものを習っておく必要があるってのも分かるから。日本だって、学校でお琴や笙を習うわけじゃあないもんね。だけどお琴や笙を習っていたら、今頃どうだったんだろう。そもそも私たちの学生時代、学校で日本の伝統文化って習ったっけ?あんまり記憶がないけど、習字くらいかなぁ。着物の着付けもお花もできないけど、それはもうこれからの時代はできなくてもいいものなんだろうか。
私たちが日本人である証って、何だろう。それを表現できる技術をあんまり持ち合わせていないかも。伝統文化でしか証を示すことができないって訳ではもちろんないんだけど、こういう時に交換できるものがもっとあればなぁって。彼らの演奏した民族楽器のように、深い部分からその国のバイブレーションを感じ取れるような何か…今更ながらに、日本的なものをほとんど持ち合わせていない自分に驚く。
海外に出ると日本のことがよく見えるっていうよね。ホントにそうでさ。相手からその国の持ち合わせるアイデンティティー的なものを感じると、自分って一体何なんだろうってふと考えてしまう。これは教育うんぬんだけでなく、自分自身もそれに興味を示してこなかった結果でもあるんだけどね。改めて日本をもっと知らなきゃって思うし、日本のいい部分も悪い部分もひっくるめて客観的に見えるから、一度自分の場所を離れるのはすごくいい経験だ。
文化交流はまだまだ続いている。やっぱり旅をした中で大きく残ってくるのはいつも、そこでの人と触れ合った記憶のような気がする。だからこそ、観光の持つ可能性ってとても大きいと思うんだ。観光スタイルは変化し、今では色んな形になってきている。その内容は今日のような文化観光をはじめ、ロングステイ、産業観光、エコツーリズムなど他にもまだまだあるらしい。
21世紀は観光の時代で、世界各国でも右肩上がりの産業として重要視されてるんだって。年間10億人もの人が観光で移動してるっていうから、その経済効果も凄いんだろうね。そしてまた、ふれあい型の観光スタイルは地域活性にも役立つんだ。