ビーチに着いて降りていくと、楽しそうに魚を獲っているこどもたちがいたんだ。たぶん網で追い込み漁をしていたんだろうね、多人数で同時に動いていた。服を着たまま海に入って頭には魚を入れるカゴを乗せてさ。まるで魚の動きを読みきっているかのように動く彼らの、それは遊びのようでいてちゃんとした狩猟スタイルだった。彼らはきっと、小さなこどもの頃からこうして遊びながら、大切なものを学び取っているんだろう。
当たり前のことだけど、私たちは食べ物がないと生きてはいけない。その根本の作業、漁をして獲物を自分で捕るという作業を、この子たちは体で知っているんだ。自然が豊かな場所でなら、狩猟の技術があればある程度は生きていける。物売りの様子だけを見ていたら心配になってくる彼らの未来だけど、漁をしている姿を見ていたら、心配なのは私たちの未来の方だと思わされてしまったよ。
食べ物を自分たちで作ること、狩猟することを、あなたはどれだけできるのって彼らに聞かれたら、何も答えられない自分がここにいる。複雑な社会のシステムの中で生きて、複雑なルートをたどって、日々の食べ物を手に入れている私たち。このシステムが急激に傾いたとき、一体どうやって食べ物を手にいれることができるのだろう。ちゃんと生き延びることが、果たしてできるんだろうか。
震災や色んなことが起こっている現場からのニュースなどを見ていると、この社会のシステムの脆さを目の当たりにする。普段使っている便利な道具を急に取り上げられたら、私たちはまだ何もできない赤ちゃんのようでしかないよね。もっと「生き延びる術」を知る必要があるんだ。
まるで光っているかのような笑顔のマダガスカルのこどもたち。純粋なエネルギーを放出しながら大地に溶け込んで遊んでいる姿を見て、「生きることって美しいなぁ」って、そう心から思ったよ。