『1970年代という歴史的にも近代なさなかに、カンボジアでは内戦が生じていた。多くの人間が虐殺されいまだ地に埋められた地雷。内戦が終了した今、カンボジアは「微笑みの国」と呼ばれるようになった。私たちは悪魔の兵器の被害者・撤去作業に関わる人、そして未来に笑顔を咲かせる少女たちに会ってきた。』
そう話してくれたのは、世界と日本の豊かさを学ぶ為に乗船を決めた「アイリ」こと向坂愛理さん(24)。人を幸せにしたい。元気にしたいという理由で理学療法士の仕事を行い日頃から人のお役に立つことを意識しているアイリ。そんな彼女の「幸せとはなにか?」をテーマにしたカンボジアはどんな旅だったのだろうか。
【Travelers Boatとは?】
ピースボート95回クルーズ!涙が出る程に美しい奇跡的なオーロラの景色を見ることができる104日間の世界一周の船旅。「Peace Boat Deck/ピースボートデッキ」では、世界一周団体「TABIPPO」と「ピースボート」によるコラボ船上プログラム「Travelers Boat」のメンバーが「ブログ、SNS」を通して実際に世界に足を運び肌で感じたありのままの様子をお伝えします。
みなさんこんにちは!ピースボート乗船中のアイリです。
ピースボートの醍醐味ともいえるオーバーランドツアーに参加してきました!今回は、カンボジアに4泊5日の旅。地雷問題、被害者の声、そして光り輝く子供たちの笑顔…。私が普段日本で感じている「当たり前」や「幸せ」について非常に考えさせられた5日間。内容盛りだくさんです。
ピースボートの醍醐味ともいえるオーバーランドツアーに参加してきました!今回は、カンボジアに4泊5日の旅。地雷問題、被害者の声、そして光り輝く子供たちの笑顔…。私が普段日本で感じている「当たり前」や「幸せ」について非常に考えさせられた5日間。内容盛りだくさんです。
地雷から学ぶ、過去・現在・未来
「悪魔の兵器」――。
カンボジアの歴史を伝えゆく人は地雷をこのように表現する。地雷は人を殺さない。足を爆破によって飛ばし、助けを差し伸べた人の戦力を奪う。1970年代、カンボジアで内戦が起こった。ポルポト政権時は知識を持つものは虐殺され、伝統文化は破壊された。戦力を奪うため、町の至る所に地雷が埋められた。そして、内戦が終わってからも紛争の爪痕としていまだに民間に地雷が残っている。
カンボジアの歴史を伝えゆく人は地雷をこのように表現する。地雷は人を殺さない。足を爆破によって飛ばし、助けを差し伸べた人の戦力を奪う。1970年代、カンボジアで内戦が起こった。ポルポト政権時は知識を持つものは虐殺され、伝統文化は破壊された。戦力を奪うため、町の至る所に地雷が埋められた。そして、内戦が終わってからも紛争の爪痕としていまだに民間に地雷が残っている。
地雷は爆発しないと無くならない。私たちは、地雷撤去団体「CMAC」で活動している方たちに現場の声を聴き、実際に埋まっている地雷の様子を見ることができた。ピースボートのメンバーの一人がCMACで活動している方に「どうしてこんなに危険な仕事をしているのか」と問いかけた。
『家族の為、地雷が埋まっている地域の為、そして我が国カンボジアの幸せの為です。』という声が笑顔と共に返ってきた。
『家族の為、地雷が埋まっている地域の為、そして我が国カンボジアの幸せの為です。』という声が笑顔と共に返ってきた。
「拳銃で頭を打ちぬこうと思った」ソワンタさんのリアルな声
アンコール障がい者協会の設立者ソワンタさんは軍人であった。当時、草むらに忍んでいた悪魔の兵器に両足を奪われた。
爆破の衝撃ののち、自分が地雷を踏み足を失ったことにすぐ気が付き、なんと持っていた拳銃で自らの頭を打ちぬこうとした。当時のカンボジアでは障がい者に対する偏見が根付いていた為、特に生きていくには大変であった。
ソワンタさんは隣にいた部下に止められ、一命を取りとめたがその後は恐ろしいくらいの不安と絶望が待ってたという。
正直、実際の声がリアルすぎて、耳をふさぎたくなった。胸が痛くて、その場を離れたくもなった。
爆破の衝撃ののち、自分が地雷を踏み足を失ったことにすぐ気が付き、なんと持っていた拳銃で自らの頭を打ちぬこうとした。当時のカンボジアでは障がい者に対する偏見が根付いていた為、特に生きていくには大変であった。
ソワンタさんは隣にいた部下に止められ、一命を取りとめたがその後は恐ろしいくらいの不安と絶望が待ってたという。
正直、実際の声がリアルすぎて、耳をふさぎたくなった。胸が痛くて、その場を離れたくもなった。
ソワンタさんは絶望の状況から諦めなかった。「みな負った傷は同じ。自分が心を立ちなおし、障がいを負った人たちの為の施設をつくる」と明言し、アンコール障がい者協会を設立した。
そして、今はこのようにみんなと交流したり、世界障がい者デー等のイベントに参加している時に「幸せ」を感じる。と笑顔で話してくれた。
アンコール障がい者協会での作業場。ここで作られた木のネックレスはとても可愛らしく、ピースボートの仲間たちの何人かも購入していた。
「学校にいきたい!」願いが叶ったスナハイ村の子どもたち
遡ること1年前――。カンボジア国内の“スナハイ村”で約200人の子どもたちと、ピースボート乗船者による開校式が行われた。ピースボートの募金や支援によって、新しい学校を設立した。
小学校の校門には現地の言語クメール語で「ピースボート・スナハイ小学校」と書かれている。
日本の、しかも今自分が乗船しているピースボートの支援によって建てられた学校を見たときは胸の奥から込みあげてくる思いがあった。
私たち日本人のほとんどは、義務教育を経て成長していく。それが当たり前の生活であり、人生なのだ。しかし、世界にはまだまだカンボジアのように学校に通いたくても通えない子供たちが山ほどいる。今回の旅で、改めて日本の当たり前は世界の当たり前ではないという事に気づかされた。
特別な遊具など何もない校庭で走り回る子供たち。一歩外に出ればまだまだ地雷が埋まっていたり、不発弾のある地域が広がる。その事実を受け止めているのか、はたまた知らずに過ごしているのか…。隣で楽しそうに笑う子供たちは少なくとも幸せそうに見えた。
日本の、しかも今自分が乗船しているピースボートの支援によって建てられた学校を見たときは胸の奥から込みあげてくる思いがあった。
私たち日本人のほとんどは、義務教育を経て成長していく。それが当たり前の生活であり、人生なのだ。しかし、世界にはまだまだカンボジアのように学校に通いたくても通えない子供たちが山ほどいる。今回の旅で、改めて日本の当たり前は世界の当たり前ではないという事に気づかされた。
特別な遊具など何もない校庭で走り回る子供たち。一歩外に出ればまだまだ地雷が埋まっていたり、不発弾のある地域が広がる。その事実を受け止めているのか、はたまた知らずに過ごしているのか…。隣で楽しそうに笑う子供たちは少なくとも幸せそうに見えた。
スナハイ村の小学校は、電気も通らず、勉強に必要な文房具等も足りない状況だ。
子どもたちが自分たちの過去をしっかりと学ぶため、また彼らの未来のためにまだまだ支援は必要そうである。
日本はGDP(国内総生産)も高く、世界から見ると「裕福」ともとれる国である。しかし本当の豊かさとは、幸せとはなんだろうか?
地雷という不安を抱えながら生きるカンボジアの子どもたちの笑顔と、スマホに目を落としうつむきながら歩く日本国民を対比せざるを得なかった。私はこれからも「幸せとはなにか?」を自分に問い続けながら旅をしていく。
子どもたちが自分たちの過去をしっかりと学ぶため、また彼らの未来のためにまだまだ支援は必要そうである。
日本はGDP(国内総生産)も高く、世界から見ると「裕福」ともとれる国である。しかし本当の豊かさとは、幸せとはなんだろうか?
地雷という不安を抱えながら生きるカンボジアの子どもたちの笑顔と、スマホに目を落としうつむきながら歩く日本国民を対比せざるを得なかった。私はこれからも「幸せとはなにか?」を自分に問い続けながら旅をしていく。
(取材・撮影・文/向坂愛理 編集/渡会和馬)