ピースボート第94回クルーズは、北欧を周りながら地球一周する105日間の船旅。「ピースボートの旅ブログ」では、世界一周団体TABIPPOとピースボートのコラボ船上プログラム「TRAVELERS BOAT」のメンバーが、寄港地や船旅の様子を感じたままにお伝えします。
『ずっと夢だった世界一周の船に乗っています。』と語る「このみん」、こと小川このみさん(28)。
もともと旅行が趣味で、これまでも国内・海外ともに色んな場所に訪れてきたこのみん。いつしか世界一周をしてみたいと思うようになり、目に止まったのがピースボートの1枚の写真でした。初めはピースボートのLINEアカウントを登録して、送られてくるメッセージを『世界一周してみたいな』と憧れて見る程度でしたが、行くまでの準備や実際に行った人の経験談をみて、自分も行けるんじゃないかと思うようになりました。
ある時、ピースボートで世界一周に行きたいということを相談した友人に、「試しに説明会に行ってみたら?」と言われたことがきっかけで、説明会に足を運びました。話を聞いている内に思いはどんどん強くなり、94回クルーズに乗船することを決めたそうです。
世界一周に行くために仕事を辞めて乗船しているこのみんは、何度か離脱をしながら夢だった世界一周を楽しんでいる様子。
今回はピースボートのオーバーランドツアーで、一度は行ってみたかったマチュピチュに行ってきました。
さて、このみんは一体どんな旅をしてきたのでしょうか?
以前から行ってみたかったマチュピチュ。
日本から自分で調べて行くのもいいのですが、行くまでの道のりが大変なのと、船で訪れる寄港地から行けば、飛行時間が短くて楽、という点から、ピースボートのオーバーランドツアー(※)でマチュピチュに行ってきました!
日本から自分で調べて行くのもいいのですが、行くまでの道のりが大変なのと、船で訪れる寄港地から行けば、飛行時間が短くて楽、という点から、ピースボートのオーバーランドツアー(※)でマチュピチュに行ってきました!
※オーバーランドツアー・・・ピースボートのオプショナルツアー。一時下船し、船では寄らない地域へ行くツアー。
マチュピチュへ行く人は誰もが訪れる街、クスコ
オーバーランドツアーでまず初めに訪れたのはクスコの街。ここはマチュピチュに行く人は誰もが通る街です。その昔はインカ帝国の首都でしたが、スペインの征服によりインカ帝国は山奥へと追いやられました。その後、スペイン人たちはインカ人によって建てられた巨大な石材建築の上に教会や邸宅などを建てました。こうして、インカ帝国の建築と、スペイン人の建築が融合することで不思議なコントラスト生み出され、これがクスコを特別な街にし、世界遺産に登録されたようです。
ここはカテドラルがすぐ近くにあるアルマス広場。この広場をはじめ、クスコの街並みはとてもキレイでした
ハトゥンルミヨク通りに位置する12角の石。
「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われているインカの石材建築です。昔の人はこれを機械も使わずに造るのだから、本当すごいですよね。
「カミソリの刃1枚すら通さない」と言われているインカの石材建築です。昔の人はこれを機械も使わずに造るのだから、本当すごいですよね。
お土産も可愛いものが沢山!しかも物価が安いため、買い物もすごく楽しかったです!
高山病には気をつけて……
クスコは標高が3,400mもあるため高山病対策が必要です。(高山病とは、頭痛、眠気、吐き気、目眩などの体調不良のオンパレード)。
高山病を少しでも防ぐには暴飲暴食を防ぎ、禁酒、禁煙、また入浴も控えたほうがいいとのこと。また、走ったり、大声を出すなど、息の切れるような事をしないように心掛けるのも大切です。心配しすぎて高山病になる人もいるので、心配しすぎも要注意。
ガイドさんが言うには、この国では高山病対策としてコカ茶を飲んだりします。
高山病を少しでも防ぐには暴飲暴食を防ぎ、禁酒、禁煙、また入浴も控えたほうがいいとのこと。また、走ったり、大声を出すなど、息の切れるような事をしないように心掛けるのも大切です。心配しすぎて高山病になる人もいるので、心配しすぎも要注意。
ガイドさんが言うには、この国では高山病対策としてコカ茶を飲んだりします。
ランチの時にコカ茶が出てきたので、実際に私も飲んでみました。味は、薄いお茶といった感じです。
ツアーガイドさんからも高山病にならないよう散々アドバイスがあったので、ご飯を腹8分目にしておきましたが、それでも食後少し頭が痛くなりました。これで満腹に食べていたら高山病になるかも・・・と実感したくらいです。
ツアーガイドさんからも高山病にならないよう散々アドバイスがあったので、ご飯を腹8分目にしておきましたが、それでも食後少し頭が痛くなりました。これで満腹に食べていたら高山病になるかも・・・と実感したくらいです。
列車に乗ってマチュピチュ村へ
クスコを観光した後は標高3,700mの山をバスでずっと走り抜け、ウルバンバを通過しオリャンタイタンボ駅へ。
ここから列車に乗ってマチュピチュ村に向かいます。車窓からの景色がとても綺麗でした。
列車の中では、景色をより楽しめるように天井がクリアになっているなど、工夫がされています。乗客にとってはとても嬉しい列車の作りです!
マチュピチュ村までの所要時間は2時間弱ですが、外の景色を見ている間にあっという間につきました。
マチュピチュ村までの所要時間は2時間弱ですが、外の景色を見ている間にあっという間につきました。
マチュピチュ村に到着です!ここはマーケットも沢山あり、川も流れていました。何だか日本の田舎の温泉街を連想させるような景色でした。
昔の人って本当にすごい!空中都市、マチュピチュ
次の日、いよいよメインのマチュピチュに向かいます!
早朝、くねくねしたハイラム・ビンガムロードと言う名の坂道を登っていきました。
マチュピチュのゲートをくぐって少し歩くと、そこには旅行のパンフレットやテレビなどでよくみたことのあるマチュピチュの姿がありました。
早朝、くねくねしたハイラム・ビンガムロードと言う名の坂道を登っていきました。
マチュピチュのゲートをくぐって少し歩くと、そこには旅行のパンフレットやテレビなどでよくみたことのあるマチュピチュの姿がありました。
空中都市、あるいは失われた都市と呼ばれるマチュピチュ。その昔、スペインによりインカ帝国が征服され、インカ都市はことごとく破壊されました。しかし標高2,400mに造られたこのマチュピチュは、見つかることなく無傷のまま残っていました。そのマチュピチュを、ハイラム・ビンガムさんという坂道の名前の由来ともなった方が発見しました。見つけた時にはマチュピチュは草に埋もれて廃墟となっていたそうです。
ガイドさんからは、マチュピチュは標高が高いため、曇ったら凄く寒いし晴れたら凄く暑いと聞いていました。私が行った時はすごく晴れていてセーターやダウンも持って行ったものの、Tシャツ1枚で充分でした。
3時間も歩くので更に暑くなります。足元も悪く、体力もだいぶ使いました。次の日筋肉痛になるのを覚悟したくらいです。笑
歩いていると、リャマがリラックスして寝ている姿もありました。
近い距離で見てもどこにも逃げないリャマは、素朴でとても可愛かったです。
こんな山の上に遺跡を作ったのだから昔の人は本当にすごい!
ぜひこのすごさを感じてもらうためにも、もっと多くの人にマチュピチュを見てもらいたいです!
ぜひこのすごさを感じてもらうためにも、もっと多くの人にマチュピチュを見てもらいたいです!
マチュピチュとは違うペルーの姿
マチュピチュを後にした私たちは、今度はペルーの首都、リマへ向かいました。そこでは、世界遺産のマチュピチュとは違う、ペルーの別の姿がありました。
バスでリマを移動しているとごみが積まれている景色が目に入りました。ガイドさんいわく、ここは貧困層の地域だそうです。これまで見てきたマチュピチュの観光地とはガラリと雰囲気が変わって、衝撃的でした。
こちらは偶然にも遭遇したデモの様子。
本来であれば、デモが起こっていたすぐ近くの教会へ見学に行く予定でしたが、デモに巻き込まれると危ない、というガイドさんの判断から、行くことができませんでした。
ガイドさんによると、デモを起こしていたのは学校の先生たちでした。県立学校と私立学校のどちらで働くかでお給料に差があり、私立の先生たちは比較的高いお給料を貰えているけれど、県立の先生たちは私立の先生と同じだけのお給料をもらうことができないそうです。
こういった賃金の格差から、抗議のデモを起こしていました。
「だったら私立で働けばいんじゃない?」って思う人もいるかもしれません。しかし、この国では生まれ落ちた家庭が貧困か、裕福かで、就ける職場が決まってしまうそうです。そのため、社会人になって就職しても、貧困家庭で育った人は私立で働く事が出来ずに、お給料が低い県立で働かざるおえません。学校の先生だけではなくて、もしかしたら他の職業でも同様の格差があるのかもしれません。
本来であれば、デモが起こっていたすぐ近くの教会へ見学に行く予定でしたが、デモに巻き込まれると危ない、というガイドさんの判断から、行くことができませんでした。
ガイドさんによると、デモを起こしていたのは学校の先生たちでした。県立学校と私立学校のどちらで働くかでお給料に差があり、私立の先生たちは比較的高いお給料を貰えているけれど、県立の先生たちは私立の先生と同じだけのお給料をもらうことができないそうです。
こういった賃金の格差から、抗議のデモを起こしていました。
「だったら私立で働けばいんじゃない?」って思う人もいるかもしれません。しかし、この国では生まれ落ちた家庭が貧困か、裕福かで、就ける職場が決まってしまうそうです。そのため、社会人になって就職しても、貧困家庭で育った人は私立で働く事が出来ずに、お給料が低い県立で働かざるおえません。学校の先生だけではなくて、もしかしたら他の職業でも同様の格差があるのかもしれません。
テレビや写真でしか見た事がなかった貧困層の地域やデモが起こっている様子を、初めて目の当たりにし、衝撃的を受けました。これがペルーの現実なんですね。
その後、リマからパナマ経由でエルサルバドルに飛行機で向かい、船に合流。マチュピチュへのオーバーランドツアーも幕を閉じました。
今度は、自分の足で旅したい
とても充実していた5泊6日のオーバーランドツアー。これまで船に乗って18カ国以上訪れて来たけれど、どの国よりもペルーは一番好きな国となりました。
絶対に行ってみたかった感動的な空中都市マチュピチュと、街並みがとてもきれいなクスコ、そして観光地とはまた違ったリマの姿も垣間見ることが出来、忘れられない5泊6日となりました。
各都市それぞれ魅力が沢山詰まったペルーに、今度は自分の足で向かい、時間をかけて旅をしたいと思います。
絶対に行ってみたかった感動的な空中都市マチュピチュと、街並みがとてもきれいなクスコ、そして観光地とはまた違ったリマの姿も垣間見ることが出来、忘れられない5泊6日となりました。
各都市それぞれ魅力が沢山詰まったペルーに、今度は自分の足で向かい、時間をかけて旅をしたいと思います。
(取材・文・写真/小川このみ 編集/原田ゆみ)