レポート
REPORT Vol.015
2017/01/24
ケニアで働くサファリガイド 加藤直邦さんに聞いた「好きなことに正直に生きてきた」話【ピースボートの旅ブログ】
さっさんこと笹川実希さんは、奈良県出身の29歳。約6年間、営業事務として勤めた食品会社を退職し、自分で貯めてきた貯金を使ってピースボート第93回クルーズに乗船しました。もともと興味があったことにもう一度向き合って、これからの生き方を今までよりも「好きなこと」に寄り添わせていく始まりの旅にしたいというさっさん。動物や世界のなりたちなどに興味があり、船上生活では関連する分野の水先案内人の水パ(※1)をしたり、地球大学(※2)に参加するなど、見聞を広める充実した日々を過ごしています。
そんなさっさんが水パをつとめた水先案内人・加藤直邦さんは、ケニアのマサイマラ自然保護区でサファリガイドとして活躍する、日本人では珍しいケニア政府公認ガイド。船上で一緒に過ごした多くの時間とインタビューで、さっさんは加藤さんから何を感じとったのでしょうか。
そもそも私が考えるすごい人とは、一芸に秀でた人、ある分野に精通、成功している人、一つの道を究めようと、その道に向かって突き進んでいる人、その道にいる人。現在の自分から果てしなく遠い存在と感じる人に対して「すごい」と感じます。ピースボートで出会った水先案内人の加藤直邦さんは、タンザニアの大学に行き、ケニアでサファリガイドの仕事に就き、本を出版し、動物について聞いたらすらすら答えてくれる、すごい人です。
わたしは今回のピースボートの旅を、好きなこと・興味があることに直に触れ、関わり、仕事や生き方をどうしていきたいのかを考え直す機会にしたいと思っていました。
私も加藤さんと同じように動物が好きで、動物に関わる仕事をしたいと思っていたけれど、私は幼い頃の夢を叶えられていない。夢を叶えた人と私とで何が違うのか。いったいどのようにしたら、ケニアでサファリガイドとして働けるような人生になるのか。
今、何かになりたいけど、なんだろう?と人生悩み中のわたしは、小さい頃から「なにかになりたい」を貫き通してきた人が、どういうふうに人生を歩いてきたのかを知りたいと思って、加藤さんにインタビューを申し込みました。
加藤さんは、静岡県伊豆の国市生まれで鰻料理屋さんの長男。2人兄弟のお兄ちゃんです。生まれ育った西伊豆は港や海岸、山々に囲まれた自然あふれる場所で、少年時代の加藤さんは、虫を取ったり海に潜って遊んでいました。自然と動物が好きになり、ボーイスカウトに入ったり、小学校では飼育係を3年務め、飼育委員長にまでなりました。また、家業の鰻屋さんを手伝うこともあったそうで、「お客さんから直接『美味しかった』と言ってもらえる鰻屋さんの仕事も好きです。『楽しかった』と言ってもらえるガイドの仕事にも通じるものがあります」と話します。
高校を選ぶとき、将来はペットショップか動物園かムツゴロウ王国で働きたいと考え、農業高校の畜産科に入りました。そして、高校の図書館で出会った1冊の本が、その後の人生を大きく動かします。C.W.ニコルさんが書いた自伝的エッセイ。その中で、C.W.ニコルさんが若い頃アフリカでレンジャーという動物を守る仕事をしていたことを知り、自分もそうなりたいと思ったのだそうです。また、「ナチュラリスト」という名乗り方もこの本で知り、いいなと思いました。
勉強が得意なほうではなかったので大学は考えていなかったという加藤さん。アフリカでレンジャーになるための高校卒業後の進路を考えたとき、日本動植物専門学校(当時)という学校がタンザニアの野生生物管理大学と姉妹校の提携をしていることを知り、行くことを決めました。
そして、19歳でアフリカに初上陸。提携先の大学に体験入学した3日間で、「自分はここに来なきゃダメだ」と思い定めます。卒業後、地元のダイビングショップでアルバイトをしながら英会話学校に通うなどして、本格的な留学の準備を整えていきました。
4年間の準備期間を経て、加藤さんは特別留学というかたちで野生生物管理大学に入学します。コレッジと呼ばれる学校で、1年単位の課程を2年間通う予定でした。でも、寮のルームメイトだったアフリカ人と仲良くなったことで、加藤さんはあることに気付きます。
アフリカの動物はアフリカ人が守る。自分がレンジャーになることは、彼らから仕事を奪うことを意味する。それはあまり意味がないのではないか。
加藤さんは、日本人の自分にできることはなにかを考えた末に、サファリガイドになることにしました。現地で何が起こっているかを伝えること、いろんな人に動物を理解してもらうこと、好きになってもらうことが、動物を守ることにつながると考えたのです。
大学を予定の半分の1年で卒業し、残りの1年を使ってアフリカ中のサファリを旅した後、加藤さんはケニアのナイロビで就職活動をしました。古着屋でシャツを買って手づくりの履歴書を携え、日本人が経営する旅行代理店を訊ねて回ったのです。
「定期募集があるわけではなく、誰かが辞めたらすぐに人が必要になります。就職できるかどうかはタイミングなんだよね」と加藤さん。
運よく、アフリカでいちばん大きなマサイマラ国立公園のロッジで募集があり、そこで雇ってもらえることになりました。日本人が経営するそのロッジで、ゲストリレーションと呼ばれるコンシェルジュのような仕事をすることに。ホテルマネジメントを勉強しながら仕事をして、お客さんのサファリツアーに1日2回同行していました。加藤さんは、この時に親交のあった坂本龍一さんに、このあと本の出版でお世話になることになります。
野生動物から守る電柵で囲まれたロッジで寝起きしながら働く生活を2年間続け、公認ガイドのライセンス受験資格を得た加藤さんは、無事試験に合格し、ロッジで正式にガイドとして働き始めました。それは、夢が叶った瞬間でした。
「夢を叶えてガイドになってからも、自然や動物に飽きることはありません。だから、僕は一生、見習いナチュラリスト」何が見られるかわからず、毎日違う。通ううち、動物たちの個性が見えてくる、図鑑に載っていない行動をする姿が見られるなど、発見の連続だと言います。
1999年〜2004年の5年間マサイマラのロッジで働いたのち、区切りがよいと思い、日本に帰ることに。「そのまま居てもよかったけれど、熱帯雨林が見たくなり、次はアマゾンに行くことにしました」アマゾンにわたった加藤さんは、現地で野生動物リハビリテーションセンターでボランティアとして活動しました。
1年かけて中南米を旅した後、日本に帰った加藤さんは、その後1年かけて本を出版します。
「アフリカから離れて中南米に行ったことで、1歩引いた目線でアフリカを見ることができるようになった」と振り返る加藤さん。すでに出版されたアフリカの本を調べてみると、飢餓や貧困に関連する重い話題の本や、著名人が短い旅をまとめた軽いタッチの本しかないことがわかりました。
「7年間アフリカに住み、学び、旅をし、サバンナで働いた自分にしか書けないことがある」と考えた加藤さんは、まず書き始めました。
もうすぐでき上がるという頃、たまたま出版社から連絡があったのです。ガイド時代につくった「サファリ通信」というサイトを見た編集者の方が、「本を出版したほうがよい」と声をかけてくれたそうだ。自分で出版社に持ち込もうと考えていた矢先のことで、「出そうと言ってくれるなら」と快諾。その出版社は、奇しくも加藤さんが大ファンだという椎名誠さんの本を多く出版している情報センター出版局でした。
本は2006年に出版されました。「ロッジで親交のあった坂本龍一さんに帯を書いてもらうことができ、運良く平積みされました」と笑う加藤さん。その後、現在に至るまでもいろいろなことにチャレンジされるのだが、「まだまだ続くけどいい?長くなるよ。」と言われ、今回はここまでだけ書くことにしました。
「ふつうから外れる生き方は怖くなかったですか?」と尋ねると、「自分ではこれが普通だと思っている。」と加藤さん。色んな選択肢がある中から好きなほうを選んでいった結果、今に至った感覚なのだそうです。専門学校時代の友人に会うと、みな結婚して子どもがいて自分とは違うので「どこでずれたのかな」と不思議に思うこともあるとか。友人の方に、「ロッジで50人いるスタッフのひとりになったときに、大勢いる歯車のひとつになることが怖かった」という話をしたときに、「普通は逆だよ」と笑われたことがあると笑っていました。
加藤さんにインタビューして、自分が感じてきたすごさに納得がいきました。船上生活をともにした18日間で、立ち居振る舞いがかっこいい、普通に生活をしていたのでは身につかないような穏やかな雰囲気がある、壮大な自然の風景のような穏やかさ、静けさと澄んだ感じと、優しさと荒々しくない強さ、生き延びる力がありそう、そんなに大柄ではないのに存在感がある。そんなふうに思ってきました。人間的にすごく惚れていて、出会えて話して認識して、名前を呼んでもらえることがうれしかったのです。
そんな加藤さんは、自分がすべきと思うことを、たんたんとやってきたから、こういう雰囲気の人になれたのだなと思いました。
と同時に、自分と違いすぎるなとも感じます。すごいなぁと思うことも、「その都度大変だったし、死にかけたこともあります」と語る表情も柔らかく、あまりにも淡々と語られるので、なんだろうこの人は?と思ってしまいました。(仙人とか新人類とか違う種とか。)「ふつうはこう思う」とか、「私にはできない」とか、そういった概念がもとからなく、ただ、やりたいことがあり、そこに向かって進むだけ、というような。でも、わたしが加藤さんのようにできたかというと、やっぱりできなかったと思います。
私は私。今まで、私もいくつかの選択肢の中から選んできて、自分では考えた結果決めたことだから後悔はありません。(ちょっとはあるけど。)そのおかげで経験したことや出会えた人たちがいたので良かったといえます。
ただ、仕事や今後やっていくことはやっぱり、自分がやりたいと思うことをしたいと思います。失敗するにしても、自分でやってみてから決めたいです。
加藤さんの話を聞いて、夢を叶えるということは、興味のあることをやってみる、シンプルにそちらに向かって進むということなのかなと思いました。今からは、私もそれをやってみたいと思っています。
※1 ピースボートクルーズには、さまざまな分野の専門家やアーティストなどが「水先案内人」として乗船し、船上でトークイベントやワークショップを行います。その水先案内人の企画を手伝う有志が水先案内人パートナー(略して水パ)です。
※2 地球一周の船旅を通して様々な国際問題の現場を体験しながら学び、理解を深め、グローバルな視点を身につけるためのピースボート独自の教育プログラム。水先案内人による講義だけでなく、受講者同士がお互いに議論し学び合うゼミの場を大切にしています。
(取材・文/笹川実希 写真提供/加藤直邦、古橋佑典 編集/浅倉彩)