バチカン市国。世界で一番小さな独立国でカトリックの総本山。人口は800人ほどと言われるその国の面積は小さく、東京ドーム程度しかないらしい。だけど、サン・ピエトロ大聖堂の隣にあるサン・ピエトロ広場は40万人を収容できるという写真に収まらない程の大空間なんだ。真っ白く青空に浮き上がっているようなその巨大な建物群は一見の価値あり。ここは、キリスト教徒なら誰でも一度は目指す場所なのかも知れない。
ゴマ粒のようにたくさん集まっている人々は、今日のこの講話に合わせてやって来たのだろうか、かなりの人々が真剣に聞き入っているような様子。ローマ法王が何を話しているのか興味津々、だけど話しが全然聞き取れない…またもや自分の語学力のなさにガックリしながらも、半ば諦めて写真を撮る方に意識を向けてみる。
ふと、目が止まった。ザワザワとした会場の後ろの方で、正面に繰り広げられている光景を立ったまま見ている人たち。前の方に座ってじっと聞いている敬虔な信者の人たちとは違って、立ち入り禁止の仕切り枠に足を乗せたりと自由なポーズで気楽に聞いている様子の彼らのすぐ後ろに、ひざまずいて、首をうなだれたまま無心に祈っている男性の姿があった。
ズタ袋のつぎはぎで作ったような質素な服を着た、遠い異国からの巡礼者を伺わせるようなその姿に目を奪われる。どこからかそのままの姿で歩いてきたのだろうか、ひざまずいた身体の後ろに露出している裸足の足裏は薄黒く汚れていた。
一心に祈るその姿から、感じ取るものは大きい。何か罪を犯したのだろうか。悔い改めたいものがあるのだろうか…重い何かを背負って生きてきたかのような姿がそこにあった。周りのざわめきと彼とは、全く違う次元にいる。横手に置かれている水が入ったボトルは、彼の祈りの深さと純粋さを表しているかのように、そのままの状態をジッと保っていた。
この大勢の人混みの中で、心の底から祈っている人はいったいどれくらいいるんだろう。そして、祈りとは何なんだろう。彼が、そして私たちが共にしているこの空間には目には見えない様々な思いが宙を舞っているのかと思うと不思議だ。そこには言語の違いもない、感情だけの絡まり。その念のようなものは、心にどう作用されて変化していくのだろうか。もしくは何かに届いてエネルギーになるのかな。なんであれ、彼のこれからの人生が今日ここに来たことによって何か変化すればいいなと思った。
少し心が純化されたような気分のまま、電車に乗り直してローマの街中へと向かう。